s_a_n_s_o’s diary

公立高校のブラックな環境に耐えられず退職しました。仕事や生き方についてあれこれ悩む過程を書き残します。

隣人がうるさい

今年の5月に今の家に引っ越して、そろそろ3ヶ月。家の中を整理したり修理したりして、だいぶ住み心地は良くなってきた。ただ、隣人のうるささには少しも慣れない。

引っ越してきてすぐ隣家には挨拶に行った。出てきたのはもう80過ぎと思われるおばあちゃんだった。挨拶の品を渡して「お世話になります」というと、年寄りばかりでこっちこそ迷惑かけます、というようなことを言っていた。年寄り夫婦の二人暮らしなんだろうか。ニコニコして感じのいい方だなとその時は思った。

数日もたたないうちに、尋常ではない怒声が隣家から聞こえてくるのに気付いた。女性らしきヒステリックな声が怒鳴り散らしている。誰の声なのか、なんといっているかはよく分からない。怒声の相手の声も聞こえない。夕方から夜にかけて、時には昼間から、日によっては何時間も断続的に聞こえてくる。

多分お嫁さんがお姑さんとうまくいっていないのだろう、と夫と話した。それにしてもその剣幕と時間の長さが異常だ。厄介なところに引っ越してきてしまったかもしれない、と少し後悔した。

ある日の夜、家から少し離れたゴミ捨て場に夫と一緒にゴミを捨てに行った。家を出ると、隣家からまた獣の叫ぶような喚き声が響き渡っている。二人ともなんとも言えない気分でゴミを捨て、帰ってくるとさらにエスカレートしている。怒鳴られているのはどう考えてもあのおばあちゃんだ。私はもう我慢できなくなった。

私の父はアル中で、母へのDV、モラハラ、時に子どもにも手をあげる最低な男だった。大人になってからいろいろ学ぶうちに、父はおそらく自己愛性人格障害というものだったのだろうと分かったけれど、母が父に耐えきれず逃げ出すまでの何十年にも渡る辛い記憶は今も私の大きな心の傷になっている。私たち姉妹を心配してくれたのは母方の祖母だけだった。父の両親は早くに亡くなり、父の兄弟を含め父方の親戚は全く関わろうとしなかった。私たち姉妹には男兄弟はおらず、私と姉と妹、そして母の女ばかり。家の中には言葉でも腕力でも父に立ち向かえる強い人間はいなかった。まだ幼く、父の暴言暴力に怯えるだけの私たちに助けの手を差し伸べようとする親類もだれもいなかった。今でも当時のことを思うと腹の底から怒りや恨みが込み上げてくるのを抑えられない。

ゴミ捨てに行ったあの晩、隣家から聞こえてくる怒声を聞きながら、私の中で何かがプチンと切れた。夫に向かって、あのうちは私のうちと一緒だ!集落の人はみんなこの声を聞いてるはずなのに誰も助けようとしない!うちもそうだった!震える声でそう訴えながら、私は泣いていた。夫は私をなだめ、近所の人が何か知ってるかもしれないから聞いてくる、お前は家に入って少し落ち着け、と言ってくれた。夫に申し訳ない、冷静にならなくては、と思いつつ、止む気配のない怒鳴り声に私の中の怒りがまた抑えようもなく湧き上がってきた。頭の中が真っ白になり、一人フラフラと隣家の玄関に向かった。殺してやる、心の中でそう声がした。

ちょうど戻ってきた夫が隣家に向かう私を見つけ、必死で走って止めてくれた。話を聞いてきたからまず家に入ろう、とめどなく涙を流し呆然としている私を、夫はそう言って家に連れ戻してくれた。

近所の人の話では、怒鳴っているのは嫁ではなく長男だとのこと。まるっきり女性のような声なので、息子とは思わなかった。彼は高校を出てからもう何十年も家に引きこもっているらしい。そういえば引っ越してきてから何回か、中年の男性の姿が窓越しにチラッと見えた。母親に対する罵声は、この何十年もの間ずっと続いているとのこと。あまりのうるささに近所の親父さんが怒鳴り込んだこともあったそうだが、それで治まることもなく、地区の民生委員の方が駐在さんと一緒に乗り込んだこともあったそうだ。ところが、当の息子が変わらないのはもちろんのこと、標的にされている母親(父親に対しては言わないらしい)が、そのような介入を嫌うどころか逆恨みするようなこともあったらしい。つまり、近隣の人たちもあれやこれやと策を講じたが、何も変わらず変えられず今に至る、ということらしい。

最初私は、この家族が集落からも親戚からも見捨てられているのだと思い込み、義憤にかられて絶対にあの年老いた母親を救ってやろうと本気で考えていた。実際、市役所の福祉課まで出向いて状況を説明し、介入してほしいと訴えまでした。

ところが後日、件の民生委員の方とお話しすると、あの母親はこちらが何かすると逆に怒ったりするから、恨みを買わないようにあなたもむしろ気をつけて、とのことだった。あまりのことに、しばらく呆然としてしまった。あれだけ酷い目にあいながら、あの年老いた母親は、私たちに関わるなと?なんとかして助けたいと思う手を、自分で振り払い続けてきたと?ただただ信じられず、自分の中の怒りをどこに向けていいのか分からなくなってしまった。

 

今日も酷い怒鳴り声が、二重サッシの窓越しに聞こえてくる。怒鳴り声というより、叫び声だ。私の過去の家庭環境をよく知る夫は、私の精神が不安定になることを何より心配してくれている。夫がよくよく隣家の騒音に耳を傾けると、もう50も過ぎているであろう息子が母親に向けて喚き散らしている中身は「夕ご飯のおかずが野菜ばかり(肉がない)」だの「お盆でどこの店もやってないのに今日のご飯はどうするつもりなのか」だの、あきれ返るほど下らないことばかりらしい。少しでも私の気持ちを和らげようと、夫はそれを私に教えて笑い話にしてくれる。それを聞くと私も、怒り狂っている自分がバカらしく思えて少し気が楽になる。夫の優しさはありがたいと思う。ただ、そんな風に思えるのも束の間、毎日毎日飽きもせず叫び続けるあの息子に自分の父親を重ね、殺意を覚えずにはいられない。夫が止めてくれたあの夜、私は自分も死んでもいいからあの叫び続ける隣人を刺してやる、と頭のどこかで本気で考えていた。今もその衝動を抑えるのが正直難しい。

当面の対策は夫が買ってくれたノイズキャンセリングイヤホン。これを耳に突っ込んで、アプリで雨の音を聴く。海や山も近く、自然に恵まれたこの土地で、なぜ本当の雨音や波の音を聴かずに、窓を閉め切ってイヤホンで自然音を聴いているのか。口に出してはいけない言葉だとは分かっている、それでも、「死んでしまえ」それが頭を何度もよぎる。隣家との間に分厚い壁でも作ろうか。それしかないかもしれない。